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  • rtdhimawarii

Modern Sonata 曲目解説③

更新日:2020年1月8日

<君にピスタチオ>

もう5年以上昔の話だろうか。


あるバーで3人の若者が演奏活動をしていた。フルート、鍵盤ハーモニカ、ピアノ。そんな編成で演奏をしているバンドはそうないだろう。


もう緊張という言葉はない。無条件に楽しさだけがあった。


演奏後、彼らは一杯の酒とミックスナッツを嗜んでいた。

確かにナッツは固いものだ。しかし、まだ若かった彼らのの歯を痛めるほどではない。


そんな中、あまりにも固いナッツを噛む男がいた。

ガリッゴリッ。鈍い音が耳に響いてきた。


ナッツの名はピスタチオ。

きっとその男は、口腔内を大切にしなければならなかったはずだ。

そう、男はピスタチオを殻ごと噛み砕いていたのだ。


ただ素晴らしいのは、彼は出すことなく彼の胃の中にピスタチオのすべてを流し込んだことだ。


そんな切なさ、しかしその中に流れる芯の強さ。これを即興で演奏したのがこの曲。多少の直しをしてあるが、そのときの私のストレートな気持ちだ。そのとき好きで聞いていた曲に影響された部分もあるし、それがとても色濃く出ている。それはそれでいいだろう。


この曲は理論的には作っていない。とにかく聞いて心地よい。最後には心が揺さぶられる。テーマは「感動」だ。


<そらのあなたへ>

大好きだった今は亡き祖父に向けて書いた曲だ。もとは脳梗塞から立ち直った祖母に向けて書いた「野菊」という曲のモチーフである。


祖父は脳梗塞になった祖母を献身的に支えていた。祖母は順調に回復した。そうして幸せな日々が戻ってくるかと思いきや、ある日、祖父が重度の肝硬変であると医師から告げられた。


どんどん祖父は弱っていった。死ぬ水は私が飲ませてやれた。「酒飲みが酒を飲めなくなったら終わりだ。」その言葉通りになった。「酒はほどほどにな。」と私に言った。


ぶっきらぼうだったが優しい人だった。きっと今も「そら」から私たち家族を見守ってくれているに違いない。そう思って書いた。


祖母も、加齢によっていろいろな面で弱っている。奇しくも、私の母も脳出血によって不自由な生活を強いられている。その一方、私の子が産まれて幸せも増えている。「そら」の祖父はひいじいさんになったのだ。


祖父は「そら」でどんな気持ちで私たち家族のことを見守ってくれているのだろうか。


思うところが多すぎて、この曲はあまり聞きたくない。


音楽的には、一見簡単な曲だと思う。器楽的な技術面はわからない。


この曲は特にフレーズ感が大事だ。短いようでフレーズがとても長い。これは自分の曲全体に言えることかもしれない。


だから、会場のエコーにかまけて音が切れるなんてことはあってはいけない。気持ちを切ることなく、演奏上の難しさがあっても、ずっとフレーズ感を大事に、緊張感をもち、でものびのびと気持ちと音をつなげ続けることだ。


シンプルな曲ほど、歌い上げるのは難しいと思う。


<Amazing Grace>

フーガ風の前奏。ヴァイオリンの歌心に任せた自由な旋律提示。ジャズのウォーキングに合わせた展開部分。転調を経て改めて壮大にモチーフを歌い上げる。


理論的ではなく、ある意味Sonata形式に近いと思う。


2年上のソプラノの先輩の依頼で考えた私の作・編曲人生ではかなり古いアレンジだ。初演はソプラノ独唱。その次は師匠と自分の二重唱。さらに男性四重唱。器楽伴奏による男性三重唱、そしてこのトリオ。いろいろな形で演奏されてきたアレンジだ。


こうして考えると、誰に習うことなく自由にやっていたからこそ、「自分が美しいと思った音」を素直にかけているような気がする。


アカデミックな面ではあまり認められてこなかったが、できるだけ演奏活動で聴衆の前で実際に聴いていただく機会は多くもつようにした。


そして、幸いにも「良かった」という声をいただけているのはありがたいことだ。


それを大事にしたい。これからも自分にしか書けない音を並べてみたい。でも、決して聴衆の声に甘えたくはない。つたないオリジナルやアレンジを演奏し続けてくれて来た仲間たちにも甘え過ぎたくはない。


ある先輩が言っていた言葉を自分の音楽の教訓にしている。


「プレイヤーである我々が考える、いわゆる素人の聴衆は、歌心のなくても迫力だけで泣いてしまうものだ。感動してしまうものだ。だって知らないのだから。それは今日の、ただ高音を出して強く歌い上げる音楽を聴き、それを聴く聴衆の様子を見ていて君も思っただろう。でも、聴衆に対して迫力だけが本当の音楽だと思わせるのは音楽家として罪だと思う。常によい歌心だとは何かを追究することが大事だと思うよ。」


本当にそう思う。高音が出ているのは素晴らしいが、全体を聴いてみればずっと声を張り上げっぱなしの声楽家がたくさんいる。ピアノ奏者には身体全体で乗るのではなく、腕の力だけで叩くフォルテを当たり前にする指導者がたくさんいる。


フィギュアとかの何回転できたから何点の世界に近いのだろうか。フィギュアを詳しく見ているわけではないので、詳しい人には怒られるかもしれない。


それがいい音楽なんだよと言われてしまえばそれまでかもしれない。


でも、私はいろいろな意味で音楽では「緩急」を大事にしたい。高さは苦手だけれど、深さを意識したい。基本中の基本すぎて笑われるかもしれないが、それを大切にしている。


今後もそうしたい。

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